3.4 地球は変動する

地球の内部は温度が高く、熱伝導と熱対流による熱の放出過程にともなって、地球はさまざまに変動してきている。初期地球における原始大気や原始海洋の形成、生命活動による酸素の放出による環境変化、マントル対流とプルームの活動、プレート・テクトニクス、大陸の分裂と合体・海洋底の拡大と沈み込み・地震活動や火山噴火、リズミカルな環境変化の氷期・間氷期などがあり、ときには宇宙からの小天体衝突による環境の激変とそれにともなう生物の大量絶滅や、全地球が凍結した雪玉の時代があったことも知られている。現在では、GPS観測網などの宇宙測地によって、地球上の大地がどのように運動しているかが実測されるようになっている。まさに地球は生きているのである。

 

3.4.1 地層は環境変動を記録する

地球上で風化・浸食でできた砂や泥は、水や風あるいは氷河によってより低い方へと運ばれ、沈積し、ほぼ水平に堆積して地層を造る。地層は絶えず造られていて、次々にたまって厚くなった地層は、時刻のもっとも連続的な記録となっている。同時に、その地層はたまった場所の環境も表しており、その古地磁気は堆積場の古緯度なども記録している。また、水中に溶解していた物質も沈殿して地層となり、生物の多量の遺骸もまた地層となって残る。地球環境がどのように変遷してきたか、あるいはなぜ激変したのか、その原因については、地層に残されている記録から調べることができる。

地層は何枚かの単層からなる。地層が堆積すると、単層と単層の境には層理面ができる。この面は、崖の断面でみると縞模様としてみられるが、堆積が中断した時刻を表している。しかし、それは地質時代の長さからみると瞬間的な時間なので、地層は連続的に堆積したと言える。このように整然と積み重なった地層では、下の位置にある地層ほど古く、上の位置にある地層ほど新しい。そこで、地層の中に含まれている化石を比べて、下の地層の化石は古く、上の地層にある化石は新しいと言えるのだ。

地層について、その厚さ、堆積物の性質、堆積の仕方、含まれている化石、積み重なりの順序(岩相層序)を調べ、堆積物や堆積環境の相違にもとづいて積み重なりの様式(層序区分)が分かる。これを他地域の堆積の様式と比較して、ある地域の地質の履歴(地史)が解読される。こうして地層の分布の仕方から環境の変化が分かるのである。一連の地層の中で、ある地層が欠けて、不調和な関係で重なっていることもある。この関係は不整合と呼ばれ、地層が浸食されたことを表している。つまり、海底が隆起して、陸地となるような造山活動があったことなど、地層はそんな事件も記録している。

地層は堆積した場所や環境によって異なり、分布も限られるので、世界共通の層序というものはないが、地層の新旧や同時性を確かめるのに古くから化石が用いられている。同じ時代の地層には同じ化石が含まれているので、化石つまり古生物群集の変遷(生層序)が時間経過をあらわすと考えて、地質年代表が作られてきた。古生物群の変化の大小にもとづいて、古生代・中生代・新生代のような大区分から、さらに細かな区分までがなされている。区分の境界は、多くは古生物群の絶滅にもとづいている。古生代と中生代の境界は世界的規模の海洋貧酸素事件によって、中生代と新生代の境界は巨大隕石の衝突によって、生物の大量絶滅事件があったと考えられている。前者の境界の地層には、堆積場が還元環境から酸化環境へ移行したことが記録されており、後者の境界の地層では地球上では少ない元素イリジウムの濃集が確かめられ、衝撃石英や岩石が融けてできたガラスビーズなどが発見されている。

地層と化石から編纂された地質年代表は、世界共通の年代尺度として地球上の地学現象を相互に比較できるようにしたが、まだ、より古い、より新しいという相対的なものであった。何年前か、何年間続いたかを明らかにしたのは、放射性同位体の壊変を利用した年代測定で、それによってはじめて地質年代表に目盛りが刻まれたのである。それは、化石がほとんど産出しない先カンブリア時代の年代区分も可能にし、初期地球からはじまり地球史の80%程度を占める先カンブリア時代に起こった事件の順序を読みとれるようにした。

放射年代と化石による年代の対応が分かって、地層と地磁気の逆転史(古地磁気層序)が明らかにされている。地磁気の逆転は地球全体に同時に起こる現象なので、世界共通の年代区分として便利である。深海掘削計画による海底コアからは、微化石による生層序と古地磁気層序の威力が発揮され、海洋底の年代を決めて海洋底拡大が見事に証明された。

サンゴ、2枚貝、有孔虫などが炭酸カルシウムの骨格や殻を作るとき、酸素の同位体も取り込み、その同位体比は海水の温度を反映する。そこで化石の酸素同位体比を測定して、過去の気候が推定される。海水から水分が蒸発するときには、小さい質量の酸素を含む水分がより多く蒸発するので、海水には重い酸素が残る。その水分が雪となって極域に降り積もり氷床を発達させ、海水温が低くなると、生物は重い酸素の方を殻に取り込む。暖かいときにはこの逆になる。海底コアの有孔虫やサンゴの年輪などについて時代を追って酸素同位体比を調べると、寒暖のリズムが記録されており、地質時代の気候変動を読むことができる。同様なことは、極域の氷床でも解析されている。270万年前頃から約4万年周期で寒暖のリズムが刻まれてきたが、最近の50万年間では約10万年周期で寒暖がくり返されている。

 

3.4.2 大陸の衝突 ヒマラヤと海洋島弧の衝突 丹沢−伊豆

海洋プレートの海溝からの沈み込みは、海洋底の面積が縮まり、ついには大小さまざまの大陸地塊が衝突合体していくことにつながる。アジア大陸はいくつもの大陸地塊が次々に寄せ集まってできたものであるが、最後に衝突してきたのがインド大陸地塊である。世界の屋根ヒマラヤ山脈は、インド大陸地塊がユーラシアに衝突してできたもので、幅が数100 km、延長3000 kmにわたる大山脈である。

ヒマラヤ山脈をふくむ造山帯は、地形と地質から次のように区分される。南のインド大陸上の堆積物からなるサブヒマラヤと低ヒマラヤ、インド大陸周辺とテチス海の堆積岩と基盤岩からなる高ヒマラヤとテチスヒマラヤ、沈み込まれた側のチベット高原(キメリジア小大陸)である。

白亜紀の頃に、チベット高原の南側から、テチス海プレートが北方へ沈み込んでいたが、第三紀に入ってインド大陸地塊が接近してきて、ついに衝突するにいたった。沈み込むのが大陸であり、沈み込まれるのも大陸であったため、どちらも地下深部へ沈み込むことができない。そのため上下に重なって厚いリソスフェアを形成した。ヒマラヤ山脈は約800万年前頃から急に高くなったといわれる。厚くなったリソスフェアが不安定となって、マントルへと沈み込んでいったため、つりあうように下から上昇してきたアセノスフェアが、残った薄いリソスフェアとチベット高原を隆起させたらしい。これにはインド洋プレートの押しも貢献している。

ヒマラヤ山脈が浸食されてできた堆積物は、ガンジス川やインダス川で運ばれてインド洋の海底にたまる。その量は膨大なもので、東側ではベンガル三角州から沖合3000 kmにわたって広がるベンガル海底扇状地をつくっている。堆積物の厚さは10 kmを越え、その一部はインド洋プレートの沈み込みにともなって、付加体としてミャンマー側へ加わっている。西側でもインダス海底扇状地はパキスタン側へ付加している。

ヒマラヤの存在は、東アジアの気候に大きな影響を与えている。インド洋で蒸発した水分はヒマラヤで遮られるために、中国内陸部は乾燥化し、東南アジアから日本列島にかけてはモンスーンをもたらす。

南部フォッサマグナ地域において丹沢−伊豆の衝突はよく知られている。これは島弧の衝突であって、大陸の衝突とは異なる。北側から南へ連なる御坂山地、丹沢山地、伊豆半島は、いずれも変質した海底火山岩からなり、厚い地殻をもっているわけではない。衝突した時期は、御坂が1500万年前、丹沢が800万年前、伊豆が150万年前頃と考えられている。丹沢と伊豆の間にある足柄山地は、衝突にともなって隆起した山地が削られてできた粗粒の堆積物が厚く堆積した場である。このような島弧の衝突帯では、海底火山地塊の衝突と隆起、粗粒堆積物による盆地の埋積、それらが交互にくり返す地質体がつくられている。およそ5000万年前に誕生した伊豆−小笠原島弧は、2000万年前頃の四国海盆の拡大で、現在の島弧と九州−パラオ海嶺にわかれ、フィリピン海プレートの沈み込みにともなって本州へ衝突付加してきた。海洋性島弧は海洋地殻と違ってより軽いらしく、沈み込まずに付加するものと考えられる。この動きはなお続いており、将来は伊豆大島をのせた銭州海嶺が付加してくるのであろう。

 

3.4.3 失われた超大陸

昔の地球観は、大陸の地質の知識にもとづいていたが、現在のプレート・テクトニクスは海洋底の新しい発見を契機として確立されている。海洋底からの知識には、中央海嶺やトランスフォーム断層、海溝などの大地形、地震・地磁気・表面熱流量といった地球物理的性質、そして年代分布などがある。とはいえ、海洋底には2億年前頃までの記録しかなく、それ以前の海洋底は地球内部へと消え去ってしまっているので、それより古いことは直接にはわからない。断片的ながらもおよそ40億年前までの情報が閉じ込められている大陸の地質は、地球史を明らかにして、惑星の発達過程を考える上で今なお大事な事柄だ。

プレート・テクトニクスでは、大陸を分裂させて新しく海洋底が生成し、拡大していく。それにともなって大陸は移動し、ついには合体して新しい大陸を形成したことが明らかにされている。このような大陸の分裂、海洋底の拡大、大陸集合の過程は、提唱した地球物理学者の名をとってウィルソン・サイクルと呼ばれる。海洋底の歴史が2億年ほどしかないのに、地球の歴史が40億年を超えることからみると、前記のようなサイクルが、地球史の中で10回以上も繰り返されたのではないかと考えられる。

よく知られているのは超大陸パンゲアである。それは2億4000万年ほど前に地球上にたった一つ存在した超大陸で、まわりは超海洋パンサラッサで取り囲まれていた。超大陸パンゲアより古い時代にも、超大陸があったのであろうか。最近の復元によると、約6億年前には超大陸ゴンドワナが、さらに古い10億年前頃には超大陸ロディニアがあったと考えられている。いずれにおいても新しく形成された大陸部分をとりのぞき、同じ気候・環境を指示する堆積物や化石にもとづいて、古地磁気による古緯度とあわせて、大昔の超大陸が復元されている。北アメリカの地質の証拠によると、さらに古い超大陸が14億年前と19億年前にも存在した可能性があり、27億年前にもあったのではないかといわれている。超大陸の中央部には大陸氷河が発達した様子があり、その分裂・移動は生命活動に大きな影響を与えたと考えられている。

図8 約6億年前の超大陸ロディニア[1]

[1]磯崎行雄「日本列島の起源、進化、そして未来―大陸成長の基本パタンを解読する」『科学』70巻、133-145、2000

なぜ超大陸は分裂して消え去ってしまうのであろうか。それにはマントルの中のより温度の高い上昇流、ホット・プルームが関係していると考えられている。ある大陸の下へと海洋プレートが沈み込むと、そこには海洋プレート上にある大小さまざまの大陸地塊がはきよせられるように集まってきて、大陸を成長させていき、沈み込んだスラブは上部マントルと下部マントルの境、深さ670 kmのあたりに滞留して大きくなり、ついには下降流のコールド・プルームとなって地球深部へ沈下していく。そこを埋めるように、上昇してきた温度の高いホット・プルームが大陸を膨張させ、引っ張りの場となった大陸の力学的に弱い部分から分裂させていったのであろう。

 

3.4.4 海溝の堆積と日本列島の成り立ち

陸域と海域の境で、海洋プレートが地球内部へと沈み込むところでは、地表は引きずり込まれて海溝となる。海溝は地球上でもっとも低いところなので、あらゆるものが最終的にたまるところでもある。浸食されてより低い方へと運搬されてきた陸源の砂や泥は、大陸棚を埋め、さらに大陸斜面を乱泥流として流れ下り、海溝をうめる地質体を形成する。一方、海洋プレートのほとんどは海溝から沈み込んでしまうけれども、沈み込めない表層の一部が海溝の堆積物に混在することがある。このような地質体は、海洋プレートの動きとともに陸側へ押し付けられ、付け加えられ、付加体がつくられる。

付加体はおもに陸側で削られた砂や泥などの砕屑物で構成される。それに必要な大量の土砂は、隆起の激しかった後背地の山脈あるいは高地から供給されたものである。古生代から中生代の付加体では、海洋プレート上の遠洋性堆積物である石灰岩やチャートが多量に混在し、ときに海洋地殻そのものの玄武岩やはんれい岩が含まれていることもある。

造山帯の中で、付加体として初めて詳細に解析されたのは、日本列島の太平洋側を占めている四万十帯であった。その地質体は、まれに産出する二枚貝やアンモナイトの化石から白亜紀後期のものであろうと考えられていたが、ほとんどは時代不明のままであった。この地質体の時代と成因を明らかにしたのは、微化石の一つ放散虫である。膨大な数の泥岩やチャートの放散虫化石から堆積の時代が調べられ、もっとも古いのが海洋地殻をつくっていた玄武岩と石灰岩、次いで遠洋性のチャート、そして半遠洋性の多色頁岩と続き、もっとも若いのが泥岩や砂岩であることが実証された。そして、玄武岩の古地磁気が低緯度を示すのに対し、泥岩や砂岩は現在と同じような場で形成されたことも証明されたのである。このことは、海洋プレートが移動してきて、その一部が海溝で陸源の砂や泥と混じり合い、付加体となったことを見事に表していた。海洋プレートの沈み込み帯において、起源の異なる地層や岩石が混在している様子は、野外では一見ぴったりと接合しているように見えても、それらが必ずしも同じ場所で一連整合に積み重なっているわけではないことを教えてくれたのである。このような固まった岩石の層が泥のような柔らかだったものの中に取り囲まれ、本来の積み重なった地層となっていないものは、メランジュと呼ばれている。これまで安定大陸の地質学が変動帯に応用されてきたが、ここではじめて変動帯地質学が確立されたのだ。

四万十帯の北側に分布し、日本列島の骨格をなす秩父帯についても再検討が加えられた。秩父帯は、その中の石灰岩にふくまれるサンゴやフズリナの化石から、堆積時代は古生代後期の石炭紀〜ペルム紀とされ、秩父古生層とよばれていた。しかし、1970年代以降にチャートから三畳紀のコノドント化石が発見され、さらにジュラ紀の放散虫化石が次々と発見された。秩父古生層は古生層ではないことが明らかとなって、日本列島の生い立ちは、根本的に見直された。日本列島の基盤には、古生代後期から三畳紀の付加体が一部あるけれども、ほとんどがジュラ紀の付加体であり、石灰岩やチャートおよび玄武岩の変成した緑色岩体は、海洋プレートによって付加体にもちこまれた外来物だったのである。日本列島には、付加体のほかに大陸地塊のような所もある。それは南部北上山地、阿武隈山地、飛騨外縁帯、黒瀬川構造帯に分布するシルル紀から石炭紀前期の地質体で、大陸的な性質をもつ異地性地塊と考えられるものである。日本列島は世界のいろいろな所からやってきた寄木細工の様なものと言える。

 

3.4.5 変形する大陸

大陸地塊の間にある海洋底が沈み込み、大陸地塊どうしが接近して、ついに衝突すると、その境界には造山運動による山脈が形成される。そこでは、普通30 kmほどの大陸地殻が重なりあって倍の厚さになることもあり、変成作用やマグマ活動あるいはマントル物質の上昇といった物質の移動・混合によって大陸地殻の改変が起こる。その代表例の一つに、前に述べたヒマラヤ山脈がある。

プレート・テクトニクスでは、プレートは変形しない剛体と考えられ、その境界で地震や造山運動といった地学的事件が起こるとされる。しかし、インドとアジアのような大規模な大陸地塊どうしの衝突では、プレート内も破壊され、変形していることが指摘されている。インドの北方への押す力によって、その前面にあったインドシナと中国は南東方向へ押し出されるように移動している。この動きは近年のGPS観測でも示唆されており、この変形にともなう運動で南シナ海やアンダマン海もできたと考えられている。ヒマラヤ山脈の北方、中国からモンゴルにわたって、いくつもの横ずれ断層によってアジア大陸は変形している。インド大陸の押す力と同じ方向にできた割れ目の例として、ロシアのバイカル湖と中国の山西地溝帯があげられる。それらは正断層運動でできた割れ目で、押す力と直交する北西—南東方向に現在も開いている。その動きは、沿海州を日本海から日本列島へ、また中国北部を東シナ海から琉球諸島へと押し出す働きをしているようにみえる。

ここで不思議なことは、インド大陸が他の大陸よりも速いスピードで北方に移動していて、アジアがチベットから中国さらにモンゴルまで変形しているのに対し、インド大陸自体はあまり変形していないことである。インド大陸の押す力だけでアジア全体の広域にわたる変形を説明するのは難しい。インドが衝突する前に、アジア側は海洋プレートの沈み込みによるマグマ活動のせいで温度が高くて変形しやすかったのではないかとも考えられるが、変形はもっと内陸まで広域にわたっていることからは、地球内部からの熱い対流運動で広域にあたためられて大陸が変形しやすかったのかもしれない。